グラン・トリノ
LIFEの杉山です。今回はクリント・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」であります。
Story:妻に先立たれ残された家で1人で住まうこととなった老人ウォルト・コワルスキー。
現代にはびこる若者たちの不条理さに反骨精神を感じ他者にも理解を求めず鬱憤のたまる毎日。
そんな中、隣にモウ族のアジアンファミリーが越してくる。
ひょんな事からその一家の息子タオ少年とウォルトとの交流が始まる。
控えめな少年タオを一人前の男にしようと接するウォルト。
そして彼らの関係はギャングの抗争に巻き込まれていく...
うーん。イーストウッドって凄いジイさんだ。
いや、凄い俳優であり監督だ。
グラン・トリノは彼の最高傑作との呼び名も高く、各方面でも絶賛されていたので気にはなっていたんですが、確かにすごい。
イーストウッドの映画は人間のダークな面がよく描かれていますが、グラン・トリノでもその骨太なヒューマンドラマは健在です。
しかしながら随所に笑いも散りばめられていて、見る側を時折柔らかな気持ちにさせてくれます。
タオの家族との民族性の違いから生まれるやり取りの可笑しさがそれですが、それらは民族間の意識の違いをしっかり映画の中で描いています。
この映画の結末には薄々感じていながらもショックを与えられるでしょうが、なんというか物語自体は日常的でありながらも濃厚な人間関係を描き出しています。
イーストウッドはアメリカの裏側を描きながらアメリカを愛しているように思います。
決してアメリカを馬鹿にするわけでなくアメリカと向き合う真の愛国者なのではないでしょうか。
このグラン・トリノの中でウォルトがギャング達に「怒らせるのが大間違いって相手もいる。それが俺だ。」と語るシーンはかつてのダーティーハリーを彷彿させるシーンです。
どれだけ屈強な男でも歳を取れば力は老いていく。
しかし精神がそれを凌駕して普遍的なものにしていくことをウォルトは教えてくれます。
時代の移り変わりによって失われようとする精神をウォルトは持ち続け、それは周りの人が見るとただの頑固ジジイなのかもしれませんがそれは紛れも無く男の生き様であり、人間が大切にすべき精神なのかもしれません。
昨今のイーストウッドは作品を量産しているにもかかわらず、どの作品もクオリティーが高く驚かされます。
題名のグラン・トリノは70年代のアメリカの名車ですが、この作品のウォルト・コワルスキーも切なさとヒロイズムに満ちていた70年代のアメリカンニューシネマからトリップしてきたようなキャラクターに感じました。
それはその時代に俳優と活躍してきたイーストウッドのメッセージが含まれているのかもしれません。