藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

ライフの宮川です。秋らしくなってきましたね。
芸術の秋…を堪能しようと兵庫県立美術館で藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画をやっていたので観に行って来ました。
もう終わってしまった展覧会なのですが、絵の素晴らしさだけでなく心に残る部分があったので紹介させて頂きます。
なんやかやと美術展に行ってますが藤田嗣治は初めて…だなぁと思っていたら、なにかと複雑な背景を持つ藤田氏はもともと展覧会が少ないのだそう。
なるほど。この展覧会は藤田嗣治生誕130年記念なんです。

藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

藤田嗣治は世界では日本人画家として一番有名なんですが、日本と相入れず最後はフランスに帰化してフランス人として生を終えました。
戦後に戦犯扱いされた事で国内での誤解や悪評、藤田氏のご遺族のお気持ちなど様々な事情がありなかなか展覧会が行えなかったそうなのです。
最も有名な日本人画家を日本人が知らない。さみしいお話ですね。

藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

命が宿ったような白い肌、肉感的な肉体の曲線美。藤田と言えば、の乳白色。
やはり美しかったですね。
私の中ではエコールドパリの華やかな時代の寵児として脚光を浴びた、というきらびやかなイメージだったのですが、藤田の人生は本当に光と闇が濃い波瀾万丈の人生だったと知りました。
乳白色の裸体画だけでなく、他の色んな絵を見たらそれが伝わってくるようでした。
日本では評価を得られずフランスに留学、閉塞的な日本の画壇と違う正に芸術の華開こうとしている自由でパワー溢れるパリの空気に触れそこで独自のタッチを生み出し一躍時の人に。
しかし海外での藤田の人気と対照的に日本での評価は高まらず。
そして戦争という大きな時代のうねりに呑み込まれ、藤田はフランスと日本の間で引き裂かれ、そしてなんと戦争画を描いたという事で戦犯というとんでもない汚名を着せられ、最後は日本を去り二度と日本の土を踏む事はなかったのです。
私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ。」という言葉に藤田の日本への悲痛な思いが滲み出ています。
そういった経緯から、藤田の絵が日本でなかなか見る機会がなかった、という事なのです。
日本にはその時の戦犯藤田のイメージが残り、藤田サイドも藤田亡き後も奥様が日本の藤田への仕打ちを許せなかったのだとか。しごく当然ですね。
いくら戦後の混乱の中とは言え、信じられません。
それでも日本人という事にアイデンティティを見出し日本以外の土地にいても日本人として生きるという事にこだわりを持っていたそうです。
志が違いますね…。

藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

藤田といえばネコ。
たくさんいましたよ、ネコたち。
ネコにも癒されました。
女体の柔らかい線とネコのセクシーなラインは共通しますね。
魅了されたのもわかります。
写真5なりきりフジタ
展覧会の最後のお楽しみとして、なりきり藤田という藤田スタイルになれるブースがありまして、友達と喜んで挑戦しました。
マッシュがスタンダード、カサ的なストレートタイプ、カールタイプの3種類も用意されている手の込みよう。
私はザンバラなストレートタイプをセレクトしました。
残念ながらチョビひげは粘着力不足でつけられず。
これは楽しい試みですね!ステキです!

藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画

2015年に公開されていた映画「FOUJITA」も好評だったそう。
藤田役のオダギリジョーがそっくりだとか。
そちらも観たくなりました。

FOUJITA

この生誕130年記念展、今は東京の府中市美術館で開催されているそうです。
たくさんの人を魅了しているんでしょうね。