高橋耕平「街の仮縫い、個と歩み」
ライフの宮川です(^◇^)
先日神戸の兵庫県立美術館までお客様の展示を見に行ってきたので、もう終わってしまったんですがご紹介させていただこうと思います。
高橋耕平「街の仮縫い、個と歩み」
高橋さんの作品は何度か見に行かせて頂いてるのですが、兵庫県立美術館に行くのは初めてです。
兵庫県立美術館、好きなんですよね。行った時はポンペイ展やってました。
高橋さんの作品はどこだろう??と探していたら奥の大きな部屋に辿り着きました。
それぞれの壁に1つ、全部で3つの大きな映像が映されており、床にはランダムに写真が置かれています。
真ん中にイスが置かれてますが、好きに見ていいよう。
私はウロウロと床の写真を見て回りながらそれぞれ映像を見ていました。
そして分かったのはそれらの映像作品はどこかにハンディのある方に密着した映像だという事。
写真は阪神淡路大震災の時の記録映像を使った作品だという事。
もう一つ展示があると美術館の方に教えてもらいこの部屋を出て進むとなんと壁に直接文字が描かれておりました。
さっき前を通った時は気付かなくてビックリ。 こちらは震災当時の被災者の方々の声を写したもののようです。
“21年前にさまざまな人がこの街で経験したことの記憶や記録。 さらに現在それぞれの人がこの街をどのように経験し、歩みつづけているのか。ともすれば「被災地の経験」などとひと言でくくられがちな、しかし決して誰一人同じではない個別性に注意を払いつつ、高橋はそれらをいったん解き、自身の経験として新たに緩く縫い直し、提示します。”(紹介文より抜粋)
高橋さんはとても気安く面白い方でいつも来て下さってお話しするのが楽しみです。
ですがやはりアーティストなんだなぁとしみじみ。
被災地、ハンディという重いテーマにオリジナリティあるアプローチで迫っておられ独特の空間を作りあげておられました。
たくさんの写真も流れる映像もどこか高橋さんらしい抜け感があって重いテーマなんですが重苦しさがなくこのテーマにあるように個々が好きに感じる自由を与えられているようです。
私も2年ほどこの兵庫県立美術館の近所で住んでいた事があります。
震災から10年ほど過ぎておりもう震災の爪痕は分からないほど美しい神戸の街でしたが、やはり所々で残る傷を目にする事がありました。
建物であったり、人の中であったり。 確かに個々で背負うものはそれぞれだったと今さらながら思います。
いつもより感傷的な気持ちで見た海辺でした。